Paradeは終わらない

本気のエール、受け取って

2032に触発されて、思い出すこと

自分語りです。

そんなに重い話ではないけれど、あんまり明るくもない話。
私にも長いこと、ずっと会えないでいた友達がいた。ちょっと前にそんな友達と十数年ぶりに再会した。久しぶりに友達と会った私は、駅で彼女の顔を見た瞬間に号泣した。彼女は高校の卒業式の日に家出をして、それ以来の再会だったから。

地元で1番仲が良くて、バイト先も一緒で、高校は別のところだったけれど毎日夜遅くまでくだらない電話をしていたりした。
彼女がいなくなる直前も、家出をするから私とももう会えない、と軽い調子で電話で伝えられた。
なんとなく家を出る予感はしていたので、私も「事件に巻き込まれてニュースで居場所を知る、なんてことないように気を付けてよ」と笑いながら答えて電話を切った。
当時18歳の自分には、大きな覚悟をした友達になんて言葉を掛けたらいいのかなんて到底わからなかった。
それからも何度か、彼女からだったり私からだったり電話やメールのやり取りをしていた。それがある日を境に、連絡をとることが出来なくなった。
今思えば自分がもう少し上手くやれていれば、もう少し違う結果になっていたのではと思う。あの時のことを10年以上後悔していた。

真面目な話、友達が生きているのか死んでいるのかも分からない状況が数年続き、けれど彼女のことを忘れることはなかった。
私から連絡は取れないけれど、万が一彼女が私に連絡をするのではと思うとどんなにチェーンメールが多くても携帯の番号とメールアドレスはずっと変えられないでいた。

彼女と連絡が取れなくなってしばらくして、夢に彼女が出てきた。目が覚めて、その日が彼女の誕生日だったと気付いた。それ以来、彼女の誕生日には夢に出るようになった。
姿を消す前に彼女は「2年で戻ってくる」と言っていた。けど2年経っても戻らず、次第に彼女の夢も見なくなった。

そんなことがあったから、2032を聴くとなんとなくあの頃の自分とリンクしてしまう。
DMM VR THEATERライブで慎くんが語っていた、3月14日になると、今どうしているだろうかと思いを馳せてしまう、その気持ちを分かったような気になってしまった。

とは言え、私も基本的には陽気なただのオタクだ。曲を聴くたびにそんなことを思い出したりはしない。ドリフェスと出会った頃には、件の友達とは再会を果たしていたし、再会のその日もちゃんと終電を逃すまでみっちりしっかり語り合っている。
ただ、曲を聴くと私にもそんなことがあったとたまに思い出すだけだ。

補足をすると、家出をした彼女の両親はちゃんと然るべき場所へ届けも出していたし、私も親御さんには彼女の新しい連絡先を知らせていた。ただ親御さんが連絡を取る前に、私も彼女と連絡が取れなくなってしまった。
十数年ぶりの彼女からの連絡はFBからで、DMを見た私はやはり電車の中で号泣した。

「二度と会えなくなるなんて 想像できたなら また違う未来を選べたかな」
私も彼女と「もう二度と会えない」と思ったことが何度もあった。けどどうなるかなんて未来にならないと分からないことで。
たまに彼女と一緒に飲みに行ったりしていて、共通の友人の話になって「その話知らない!」「その時もう行方不明だったからね!」「そうだった!」なんて笑っていると、今の未来もそんなに悪くないと思える。

武道館ライブを振り返って

あの日の武道館の気持ちを、メモに書き記していたので今現在の想いも交えて公開します。一年越しの武!の日記です。ライブ内容には、ほぼ触れていません。


これを書いているのは、2018年3月に決まった、10月21日という運命の日から2ヶ月が経った時。
超えられないと思っていた10月21日も、2次元のツイッターの更新の停止日の10月22日も、上井草コラボ終了の10月31日も越えた2018年12月の現在。

2018年10月20日、武道館初日。
前日に物販で7時間並んでいた疲れがあったにも関わらず、ほぼ眠らずに朝を迎えた。ライブをする彼らに明け方まで手紙を書いていたが、精神的に14人全員には書けず、結局5人に宛てた。人生で初めて役者さんに手紙を書いた。書いている最中はずっと涙が止まらなかった。
今思えば何故泣いていたのか、悲しかった訳でも、悔しかった訳でもない。ただ、想いが溢れてどうしようもなくて、己の受け皿がいっぱいになってしまっていた。
たくさんの想いと、そこそこの時間をかけて書いた手紙だが、用意していた便箋の枚数で収まり、一人当たり10枚になったらどうしよう!と思っていたのに少し拍子抜けした。
余談だが、明け方まで下書きなしで想いのままにに書いた手紙は、多分溝口くんに書いた手紙が一番長くなっていた気がする。我らが愛すべきおしゃくそは、こちら側をもおしゃくそにさせる、新発見だった。

武道館初日の朝を迎えても、家を出る直前までずっとお腹が痛かった。明らかに体が武道館に行くことを拒否していたが、行かないという選択肢はなく、自分の体を宥めすかしてなんとか九段下までたどり着いた。
武道館前で友達と落ち合い、沢山のフラスタを見た瞬間にまた泣いた。前日物販で私が確認出来た数の倍の花が並べられていた。(前日物販の待ち時間があまりに暇で、待機列からフラスタの数を数えていてその時点で100個あった)
どこまでも続くフラワースタンドに、愛しか感じなかった。それもそのはず、その日武道館に届いたフラワースタンド数は武道館ライブ開催アーティストの歴代最多を叩き出した。あの景色は、間違いなくドリフェス!のファンの愛が作り上げた空間だった。

初日のライブの最中のことは正直あまり覚えていない。ただ、Aブロック2列目という2018年の運が総動員した席だったのでステージの彼らの表情だけは鮮明に記憶に残っている。本当にキラキラしていた。けれど彼らがふと後ろを向いた時や、フォーメーションの関係で正面から見えづらい位置に立った時、気のせいかもしれないけれど、何度か涙を堪えていたように見えた。
私は多分、割と序盤から泣いていた気がする。楽しくて、楽しくて、けれどこの時間が永遠じゃないことを知っていたから、涙が出た。次への約束がないことが、不安でたまらなかった。
1日目の最後のメンバー挨拶のときに、株ちゃんが涙を耐えていた様子を見て、そのときになってようやく、本当に次はないのかもしれない、と漠然と思った。
その日、ライブを観に来てくれた数々のアイドル達のコンサートを観てきたジャンル外の友達が、ライブ後にご飯を食べながら「武道館に立つのに相応しいアイドルたちだった」と言ってくれたのが、何よりも嬉しかった。

10月21日、武道館2日目。
ドリフェス!のことしか考えたくなくて、頭のてっぺんから足の先までドリフェス!に浸りたくて、朝早くに武道館に行った。
なんだか無性に沢山のドリフェスのオタクたちと会いたくて、現地でブロマイド交換してる方に声を掛けたり、フォロワーさんにお会いしたりした。
その時に何故かフォロワーさんと握手を交わして、その手がとても温かかったことを今でも覚えている。今思えば、その時の私の顔は人生で一番ひどい顔だった自信があるので、フォロワーさんは心配してくれての握手だったと思う。
ETERNAL BONDSの「繋いだ手がアツイ それは僕らの絆の温度」の箇所を聴くたびに、あの時の手の温かさを思い出す。残念ながらその時の私の手はそれはそれは冷たかったので、フォロワーさんに私が感じた感動を分けてあげることはできなかった。申し訳ない。

ライブ中は、からっからになるまで泣いた。なんだか分からないけれど沢山笑って沢山泣いた。冗談抜きで軽い脱水症状だったと思う。声を出しすぎて喉だってガラガラだった。それでも己が出せる限りの声で、イケるっしょ!と叫び、ステージの裏へスクリーンの先へと届くようにAFSを歌った。
武道館ライブの後に3日間有休を取っていたので、寝込んだって構わない、この想いが1ミリでも届けばいいと思った。
2日間のライブを終え、武道館の帰り道の記憶もほとんどないけれど、ライブ前に想像していた悲壮感は全く無かった。武道館の1週間前に書いたはてなブログで、私は「笑って武道館の客席に立てているとは思えない」と綴っていた。たしかに笑ってあの場所に立ててはいなかった。けれど、笑ってあの場所を立ち去ることはできた。素直に、良いライブだった!と思えた。
長いことオタクとして生きていて、こんなに心が揺さぶられることはなかった。今までの自分の人生が楽しくなかった訳じゃないし、なんならスーパー楽しい人生を送っていた自信があるけど、ドリフェスはもう本当に別次元で、まさに5次元で、ドリフェスと出会えてあの奇跡みたいな瞬間に立ち会えて、あの場にいられて、まじで私の人生は勝ちだった。

ここまでが、2018年10月の私の日記。
ここからが、2019年10月20日の私の日記。

2018年10月21日を迎えるまでの自分は、武道館後には無になるのだと思っていた。
2018年3月5日に一区切りの知らせを受けて、3ヶ月で体重が5キロ減ったし、精神的にも明らかに情緒が不安定になった。けれどしっかり生活をしようと思えたのも、武道館ライブをこの目に焼き付けるためだった。
武道館ライブの後も、設定集の発売、ドリフェス研究室のパッケージ化、武道館ライブ上映会……不定期ながらも、公式から発表される新情報に一喜一憂した。けれど心のどこかで「心の整理をするためのもの」として捉えていたので、素直に喜べないでいた。2018年3月5日から1年半もの間、私は明日が来ることが楽しみだと思えなくなっていた。

ドリフェスのオタクたちと集まって、アニメを観たり、ライブBDを観たり、ぬいを撮影したり、お気に入りのドリカの話をしたり、上井草でラーメンを食べたり、たまに提供される公式からの発表に喜んだり、DMMシアターのライブを全人類に観て欲しいと力説したり、やっぱりドリフェス!大好きだなー!って言いながらそれなりに充実した、けれどどこか物足りない、過去に未練がある日々を過ごすのだと、そう思っていた。

そう思っていたのに、この頃はなんだか様子が変わってきた。
サンライズフェスティバル2019のドリフェス!上映の決定、DMM VRシアターライブの再々再演、上井草コラボの復活。この時点で明らかに自分の気持ちに変化が出てきた。1年半ぶりに、明日が、数日先の未来が楽しみだと思えるようになった。
その後も、ぬいの再販プロジェクト始動、サンライズフェスティバルで発表されたコラボの数々……嬉しくて涙が出た。武道館ライブの後も、ドリフェスのために誰かが企画をして、想像でしかないけれど調整のために走り回ったり、もしかしたら偉い人に掛け合ったり、時には頭を下げたりしてくれていたのかもしれないとそう思ったらたまらない気持ちになった。応えたいと、応えなきゃならないと思った。
武道館ライブで壮馬くんは言っていた。
「イベントでお客さんが全然いない時もあった。けど全くいない訳じゃなかった」
ドリフェスは確かに世間的な認知度もそんなになく、ファン人口も多いとは言えない。けど私たちはそうやってエールを送って、受け取って、繋いで、ここまできた。過去のドリフェスのファンが送ったエールを、DearDream、KUROFUNEが受け取って、ファンである私たちも受け取って、受け継いで、ここまできた。そう考えると今のぬいぐるみ再販プロジェクトの予約の緩やかな状況も、ある意味とてもドリフェスらしいと感じる。

武道館ライブから一年経って思うのは、公式は私たちドリフェスのオタクたちを「明日」に連れて行くのに本当に必死になってくれていたということ。
アンコール曲がインフィニティ・スカイだったことも、武道館ライブタイトルがGO TOMORROW!!!!!だったことも、明日なんて来なければいいと、私たちが心のどこかで思っていたことを見透かされていたと、つい勘繰ってしまう。

私には夢がある。
一年経ってもやっぱり変わらない。また14人に会いたい。2次元の彼らにも、3次元の彼らにも、エールを飛ばしたい。アプリでドリカを飛ばしたい。この想いだけは、絶対に変わらない。

ドリフェス!と私 (2019年版)

2018年3月5日から一年経ったので、改めてドリフェス!と私を書きます。

武道館のあの日から、ずっと考えている。
私たちは明日に来ることができたのだろうか。

去年の3月5日、ドリフェスプロジェクトの収束が発表された。
今まで生きていた中でも5本の指に入るくらい泣いた。泣いて泣いて、気付けば夜が明けていた。そしてあの日から、私の闘いは始まった。
「ひとつでも多くのドリフェス!を、この世に残すため」の闘いだ。

自分もこれでもそれなりの年数の社会人をやってきているので、会社としての考え方を理解しているつもりである。一度決まり、公表されたプロジェクトの決定を覆すのは簡単な話ではない。
ならば、ひとつでも多くのドリフェス!と名のつくものを残したい。後世のためだとか、人類の損失だとか、理由はいくらでもあるが、何より自分の精神を安定させるためだ。誰のためでもない、自分のために闘う決意をした。

DMM VR THEATERでのイリュージョンshow timeの最後の挨拶で、DearDreamリーダーの純哉くんは言っていた。
「もっと俺たちのことを知ってもらいたい。もっともっと俺たちの歌を聴いてもらいたい。そのためだったら、何だってする」
推しグループのリーダーが、何だってすると言った。ファンである自分も何だってしたいと思った。

一年前の自分は武道館の日を迎えたら、すべてが終わるのだと思っていた。次の3月5日はどうなっているかなんて、想像もしたくなかった。けれど実際はプロジェクト収束発表の一年が経った今でも変わらずドリフェス!のオタクでいる。関連窓口への要望メールは相変わらず送り続けているし、私たちの闘いはまだ続いている。
しかしアイドルたちのTwitter更新停止や、あんなにたくさんあったコラボの終了、私たちを取り巻く環境は激変した。そのことが何よりさみしい。
私たちは勝ったのだと、自信を持って言いたい。言いたいけれど、素直に言えない自分もいる。だって、まだ取り戻していない。大好きだったあの場所を取り戻せていない。
ひとつでも多くのドリフェスを残したい、その言葉に嘘はない。けど本当に本当の本音を言えば、アプリでまたあの7人にドリカを飛ばしたい。自分が選んだ衣装を受け取って「ありがとう!」と言う彼らと一緒にライブを楽しみたい。
この気持ちが、中国版アプリが稼働したら少しは治まるものなのかどうかは分からない。

今、自分が立っている場所は、一年前の自分が想像出来なかった「明日」だ。
武道館で14人に「明日も生きて行こう」「イケるっしょ!」と背中を押されたから、辛うじて立てている。Twitterで奏くんが「また会おうね!」と言ったから、「また」を信じて立てている。同じように諦めきれないドリフェスのオタクがいるから立てている。
それも含めて、一年前の自分には想像もできなかった。
2018年3月5日に、終わりを告げられた。けれど同時に何かがはじまった。

DMM VR THEATERでのライブで、いつきくんは言っていた。
「俺たちに会いたいと思ってくれている、すべての人に会いたい」

その言葉を信じて、これからも彼らに会いたいと想い続けます。彼らとまた会える、まだ見ぬ明日のために。

ラジオのこと

来世でハガキ職人になろうと思っていたけれど、ドリフェス!ラジオが好きすぎるので今世でハガキ職人になることに決めたのが、2018年6月のことだった。

私がドリフェス!ラジオを聴きはじめたのは大分遅い2018年2月のツアー終了後から。ユメノコドウロスのためだった。

ドリフェス!プロジェクトのひと区切りが発表された3月5日の後、毎週7人の、14人の変わらない元気な声を聴かせてくれるドリフェス!ラジオに救われていたのは私だけではなかったはずである。
ラジオがなかったら、本気で10月まで耐えられなかった。

3月5日に学んだこと。エールはドリカが示すもの。ドリカの形はひとつじゃない。
想いは伝えなきゃ意味がない。

そう考えたらラジオが好きだという気持ちを、ラジオ関係者の方に伝えたくなった。
毎週の配信を楽しみにしているリスナーがいることを、Twitterの片隅で叫ぶのではなく、誰かに見つけてもらうのではなく、自分の言葉で関係者に伝えたかった。

自分にとって、ドリフェス!ラジオへのメールは、ドリフェス!へのエールであると共に、私からスタッフの皆さんへのエールでもありファンレターでもあった。

ふつおた、Say!、保健室、YesNoどっち、我ながら呆れるくらいたくさんのメールを送った。
読んでもらいたい!と言うよりは、コーナーで時間が余ってしまったから、あと1通メールが読める…そういう時に読んでもらえるメールであればいい、そう思ってメールを送り続けた。
メールを送った4ヶ月間…楽しかった。すごく、すごく楽しかった。
自分の言葉が確実に届いているということに何より安心できた。

プロジェクトのひと区切りに伴いラジオの最終回がくることも、それなりに覚悟をしていたが最終回の日付けが発表された時、やっぱり泣いた。
思い返せば本当にたくさんのメールを送った。
1年前から始めた趣味の話、酔っ払って横笛を買った話、お弁当を毎日作れるようにひと言かけてもらったり、本は電子版派か紙派か、映画のはしごはするか、傘はいつ買ったらいいか、靴下に穴が空いたらすぐ変えるか、毎日自転車で駅まで向かう働くお姉さんに励ましの言葉をもらったり……
もっと面白いメールを送れれば良かったけれど、本当にネタがなくて毎度毎度身を削りながらメールを綴った。
1回送るのに、大体毎回3通は送っていたかなぁ…
いつもメールを送ってくる人、と思われるのがなんだか恥ずかしくて3つのラジオネームで送っていたけど、全ての名前で読んでいただけたのが地味に嬉しかった。

とある方のふつおたで、「最近メールを読まれる、塩レバーレモン風味さんは何者か」というメールが読まれたことがあった。
塩レバーレモン風味は私のラジオネームのひとつなのだけれど、「何者か」と言われたのが本当に面白くて思わず戻して聴き直してしまった。
そしてそのふつおたで「私もたくさんお便りします」と続いたのも、本当に嬉しかった。自分が送ったメールが、誰かの活動へのきっかけになったとしたら、こんなに嬉しいことはない。

そんな愛して止まないドリフェス!ラジオも本日、2018年10月13日の配信をもって最終回を迎えた。
あー、さみしいなぁ
きっとしばらくの間は毎週土曜19時になるとそわそわして、感傷的になってしまうだろうけど仕方ない。
だって本当に、どうしようもなく好きなんだもの。
こうして、武道館に向けてひとつひとつ、大好きだったものに最終回と名前がついていくことが本当にさみしい。
私たちの想いに終わりなんてものはないのに。

武道館ライブまで、泣いても笑ってもあと1週間。
正直、1週間後の自分なんて想像が出来ないし、笑ってあの場所に立てているなんて到底思えない。

何万回でも言う。
ドリフェス!と出会えたことは、私の人生の財産です。
これから先に何があったとしても、それだけは変わらない事実です。

武道館のその先も、エールを飛ばせることを信じて。
そして、またドリフェス!ラジオにお便りを送れることを信じて。

いくらシャケおにぎり、お茶漬け太郎、塩レバーレモン風味こと、はち。

好きでいるのも楽じゃない

この記事には、あえて「収束」「ファイナル」等の表現を使っています。ご注意ください。


ひとつの作品に深く愛を注ぐファンがいる。
複数の作品に深く愛を注ぐファンがいる。

両者の愛の重さは違うのだろうか?

・・・
私は都内に住み、都内に勤務している。
アニメ作品のコラボやイベントで東京で開催されないことはまずないため、好きな作品のコラボが何か発表された場合、日程が合えば迷うことなく足を運ぶ。
仕事帰りの平日に行くこともあれば、休日の朝早くから行くこともある。

しかし、それがしたくても出来ない人たちがいる。
コラボ圏外に住んでいるファンだ。

移動には数万円、数時間かかり、場合によってはその日の宿も必要だし、仕事も休まなければならないこともあるかもしれない。決して少なくない金銭と時間が必ず発生する。学生であれば、保護者の許可だって必要な場合がある。

私が現在、執心している作品は、ドリフェス!である。
2018年5月1日にファンに惜しまれながらアプリの幕が下りた。
アプリユーザー数は多くなかったが、ファンの作品の愛する心がアニメ本編にも影響された素晴らしい作品である。
ファンのドリフェス!に対する愛は深い。
それはアニメ、アプリ、DCDが終了してしまった今でも数多くのコラボ、イベント、新商品発売の状況からも伺える。

しかしながら作品から離れてしまうファンも少なくない。

主要コンテンツの終了ということもあるが、アプリ終了後に続々と発表されたコラボのほとんどの開催場所が関東に集中し、その他は名古屋、大阪、京都、福岡と地域が限られているのである。

公式から定期的に発表されるコラボは嬉しいが、コラボ圏外のファンには辛い。
アプリが終了した今、ファンがリアルタイムで作品と関わるにはコラボに行くか、週に一度のWebラジオ配信、月に一度の動画配信を待つしかない。
しかし前述の通り金銭と時間の問題があるため、コラボに行けないファンが、コラボに行っているファンと同様のポテンシャルを保つのは難しい。
その結果、ファンの中でも温度差が出てしまったり、作品から離れてしまうのは仕方がないのかもしれない。

私はドリフェス!が大好きだし、2018年10月21日でファイナルだなんて信じていない。ドリフェス!を諦めていない。
だから、少しでも多くの人にドリフェス!を知ってもらいたいし、好きでいて欲しい。
かつてドリフェス!が大好きだった人にも、ずっと好きでいて欲しい。
コラボに行けないから、イベントに行けないから、他のアプリを始めたからと言って、ファンじゃなくなったなんてことはないはずだ。

私はきっと、2018年3月5日という日付を多分、一生忘れない。
その日はドリフェス!の収束を告げられた日であるけれど、自分の長年の考え方を全て変えられた日でもあるから。
あの日、私は「好き」は数字にならないと意味がないのだと初めて知った。
商品の売上げはもちろん、Twitterでのリツイートやいいねの数には意味があった。トレンドのランキングには意味があった。動画の再生数には意味があった。

だから、もっとみんなに「好き」を伝えてもらいたい。
少しでも終わって欲しくないと思っているなら、それをどこかに、出来ればちょっとでも人の目に触れるところで「ドリフェス!最高!」と伝えて欲しい。
それはきっと無意味なことではないから。

作品を愛することに、大きいも小さいもない。
ファンであることに、早いも遅いもない。
武道館のその先も、応援(エール)を飛ばせることを信じて。

推しはどの瞬間から推しになるのか

推しとの馴れ初めについて語ります。

私には推しがいる。
大多数のオタクには推しがいる。
推しがいなくても作品は楽しめるが、推しがいるとより世界が輝いて見える。(当社比)

どの瞬間から『推し』は『推し』になるのか?

私の推しは
この〜木なんの木〜〜?? \片桐いつき〜〜!!/
でお馴染みの、Dear Dreamみどり担当片桐いつきだ。

私がドリフェスと出会ったのは10年来の友人の勧めだが、この時私は彼女に「ドリフェス!には女にモテるけど、心の中で女って馬鹿だな(良い意味で!)って思っているアイドルいる?」という暴言を吐いた。
いや、当時の私はいたって真面目に聞いている。
私の歴代推しはことごとく女にモテて、かつモテる自覚のある男たちだったから。
しかしドリフェスに染まってしまった今となってはこの発言は暴言以外の何物でもないため、今はとても反省している。
(当然ながら、友人にもめちゃくちゃ怒られた)

そんな私が何故、歴代推しの真逆とも言える片桐いつきに堕ちたのか…
それはドリフェス!Rの6話だった。

W-MaSKat結成後のお披露目ライブ、
You are my RIVALのグレープヴァインシリーズ!コンプリート!!(CV.木村昴
にて、ありありと見せつけたチヅとの体格差、腕の太さ。
今まで何度となくいっちゃんのお着替えシーンは見ていたはずなのに、着ているからこその色気というんですかね……
その他にも、可愛い顔していい身体してるとか、赤子もハイタッチをせがむ癒し系なのに一人称が俺のところとか、地元じゃ負け知らずな片桐製菓の跡取り息子とか、女子アナ顔負けの洗顔料のCMとか……
まあ、挙げだしたらきりが無いんですが、とりあえず6話のライブパートでいっちゃんの太い腕を見たらなんかもう全て持っていかれまして、「あ。こりゃ好きだわ。私の推しグランプリ片桐いつきくんぶっちぎり優勝だわ」と、相成りました。
我ながらちょろい。

ちなみにR6話視聴後に友人に「いっちゃんの二の腕!二の腕がまじサイコーだった!!」と鼻息荒めに報告したが、グレープヴァインは全然二の腕出てなかった。
私が見た二の腕は…?幻…??透視…???

今でもよく覚えているけれど、6話配信の週末がファンミーティング03大阪公演だった。
あまりに急にドリフェス!に転がったので、ファンミチケットは取れなかったが、どうにか推しの名前を叫びたい、この想いを今すぐ発散させたいと思い、横浜のDMM VR THEATERに駆け込んだ。
ドリフェス!イリュージョンShow Timeの最終日だった。
VRライブは最高だった。ガラガラの客席だったが構わず推しの名前を叫んだ。うちわも買った。そしてこの時初めてドリカを手に入れたがドリカライトを持っていなかったため(ファンミ会場でしか販売をしていなかった)、ドリカを胸に当てエールを送った。我ながら健気なファンである。

いやー、VRライブもっとやって欲しかったなぁ。
3次元ライブだと呼んだとしてもキャストの名前だけど、VRライブだと馬鹿みたいにキャラクターの名前を叫べるから。そんな空間、そうそう無いんだよ…

あと、私がドリフェス界で偉い人だったら絶対に片桐いつきにビューネくんのオファーする!!!!!
って思ってたら、アプリの通常ストーリーでまさしくビューネくん系のCMやってて、ヒュー!公式分かってるーーー!!と、公式と推しの解釈が一致したことが何より嬉しかった。

運命はいつだって突然やってくる。
ドリフェス!と出会ったことは運命だった。
歴代の推しタイプを覆したドリフェス!と一緒ならば、どこまででも信じてゆける気がする…愛のカードで進むんだ……(グローリーストーリー)

ドリカライトが折れるまで振らせてよ

ドリフェスプロジェクト終了の発表に対する今の心境と、決意を。
何番煎じだよってくらいの話をします。何番煎じだろうがこれが私の物語だ。語らせて。

2018/2/25
パシフィコ横浜、ユメノコドウツアーオーラス。この日が我らの命日だ、と覚悟を決めて友人と臨んだ。
感動のダブルアンコールを終えて、初めてドリフェス現場にきた友人たちと手を取り合いながら、「楽しかったね!」「サイコー超えてたね!」「続編の発表はなかったけど、悪い知らせもなかったね!!」「次はドリフェス舞台やってほしいね!」なんてことを語りながら、笑顔で別れた。

その一週間後、アプリ終了と緊急生配信のお知らせ。
緊急生配信終了後、友人から「電話していい?」とLINEがあり、死にそうな電話がかかってきた。
どうしたらいいんだろう…どうすればよかったんだろう…と、2人で泣きながら答えの出ない会話を延々とした。電話を切ると3時間経っていた。

5日昼の緊急配信のお知らせ時点で、友人とLINEで「ディアドリもKUROFUNEも集めてお葬式ってこともないんじゃない?」なんてことを言っていた。終わってみれば見事なまでのお葬式。
実は私あの生配信のとき、何を思ったのかあの7人のスクショをやたら撮ってたんです。見返してみたら本当に酷かった。みんなちゃんとカメラを見れていない。
ちゃんと受け答えしているように見えた株ちゃんと公人くんでさえ、笑顔が強張っていた。
あの7人はあんな笑い方しない。そう思ったら悔しくて涙が出た。

そもそも、私は2017年9月末日に友人に布教され、ドリフェス!と出会った。
ドリフェス!と出会って半年。たった半年。
皆さんのブログを読むともっと短期間のドリフェス民の方もいる。
けどね、半年だってまだまだ足りないんですわ。

今までたくさんのアニメを嗜んできた。
ひどい終わり方をした作品も、コンテンツもたくさんあった。どれも「しょうがない」。そう言って納得してきた。
けどドリフェスは駄目だ。諦めきれるか。
「お前たち相手じゃビジネスにならん」と面と向かって言われた気分だった。実際その通りだし。オタクとしてこんな悔しくて屈辱的なことがあるだろうか。
日本の経済はオタクが支えてる。市民権はなくても、サブカルチャーだとしても、隠れていようが、私はオタクであることに誇りを持ってきた。
だからたとえ目に見えるファンが少なくても、ちゃんとジャンルが好きな自分がCDを買って、DVD Blu-rayを買って、グッズを買って、アプリに課金して、コラボカフェに足を運んでいれば大丈夫だと思ってた。全然大丈夫じゃなかった。
目に見えないと駄目なんだ。数字にならないと駄目なんだ。想ってるだけじゃ駄目なんだ。

思い返せばフラグはいくつも立っていた。
9月12月のDMMシアターの空席、閑散としたキャラポップストア、店頭に並ばないアニメグッズ、アプリ開始2週間の自分でもランキング報酬が狙えた程のユーザー数の少なさ…
本格的にあれ?って思ったのはツアー愛知での太田くんの挨拶。なんて言ってたのか忘れてしまったけど、公演後に友人と「あの挨拶さ…」とざわつきながら帰路についた。
最終日横浜では、ダブルアンコールで郁くんは泣いてた。その涙の意味は考えないようにしていた。

アニメ本編でいつも忠告されていたのに。
「エールはドリカが示すもの」。精神論の話じゃなかった。

宣伝、広告に企業がどれ程お金をかけられるのか、ユーザー新規獲得がどれ程大変なのか、ということは理解したつもりになっていたのかもしれない。
自分自身、ファンとしてやり残したことはないと思っているが、宣伝、布教の面で貢献できなかったのは心苦しい。

本当に正直なことを言うと、私自身は3次元の7人がドリフェスプロジェクトに関して煩わしい、辞めたいと思っていようが関係ないと思っている。自分たちの意にそぐわないとしても仕事なんだから、やってくれや。
けれどそんな素人の想いは他所に、彼らはプロだった。
作品を本当に愛して、大切にしてくれて、ツアー挨拶での言葉を借りるとおじいちゃんになってもやっていきたいと言ってくれた。
3次元の7人をこれからもドリフェス!に縛っていいのか??知るか!!ドリフェス終わっちゃうの嫌だ!!

さながら無印10話の奏くんだ。

「みんながいて、純哉くんがいたからお前の世界は変わったんだろう。こんなに、新しい世界を見せてくれた純哉くんが、新しい夢を見つけた…なのに、なのに素直に応援しないってお前、なんなんだよ…。行って欲しくないって、なんなんだよ!」

ぼんやりした頭で改めてアニメ本編を見返して、「あ。嫌なものは嫌って言っていいんだ。終わって欲しくないって言わなきゃ駄目なんだ」って、示された気分だった。

無駄だろうが、ダメ元だろうが、今足掻かなきゃ絶対後悔する。
どうにか出来るとしたら、消費者の声しかない。 

武道館ライブがいつかは現時点では未定。
コラボも続々発表されている。
アプリだってまだ終わってない。
諦めるにはまだ早い。