Paradeは終わらない

本気のエール、受け取って

武道館ライブを振り返って

あの日の武道館の気持ちを、メモに書き記していたので今現在の想いも交えて公開します。一年越しの武!の日記です。ライブ内容には、ほぼ触れていません。


これを書いているのは、2018年3月に決まった、10月21日という運命の日から2ヶ月が経った時。
超えられないと思っていた10月21日も、2次元のツイッターの更新の停止日の10月22日も、上井草コラボ終了の10月31日も越えた2018年12月の現在。

2018年10月20日、武道館初日。
前日に物販で7時間並んでいた疲れがあったにも関わらず、ほぼ眠らずに朝を迎えた。ライブをする彼らに明け方まで手紙を書いていたが、精神的に14人全員には書けず、結局5人に宛てた。人生で初めて役者さんに手紙を書いた。書いている最中はずっと涙が止まらなかった。
今思えば何故泣いていたのか、悲しかった訳でも、悔しかった訳でもない。ただ、想いが溢れてどうしようもなくて、己の受け皿がいっぱいになってしまっていた。
たくさんの想いと、そこそこの時間をかけて書いた手紙だが、用意していた便箋の枚数で収まり、一人当たり10枚になったらどうしよう!と思っていたのに少し拍子抜けした。
余談だが、明け方まで下書きなしで想いのままにに書いた手紙は、多分溝口くんに書いた手紙が一番長くなっていた気がする。我らが愛すべきおしゃくそは、こちら側をもおしゃくそにさせる、新発見だった。

武道館初日の朝を迎えても、家を出る直前までずっとお腹が痛かった。明らかに体が武道館に行くことを拒否していたが、行かないという選択肢はなく、自分の体を宥めすかしてなんとか九段下までたどり着いた。
武道館前で友達と落ち合い、沢山のフラスタを見た瞬間にまた泣いた。前日物販で私が確認出来た数の倍の花が並べられていた。(前日物販の待ち時間があまりに暇で、待機列からフラスタの数を数えていてその時点で100個あった)
どこまでも続くフラワースタンドに、愛しか感じなかった。それもそのはず、その日武道館に届いたフラワースタンド数は武道館ライブ開催アーティストの歴代最多を叩き出した。あの景色は、間違いなくドリフェス!のファンの愛が作り上げた空間だった。

初日のライブの最中のことは正直あまり覚えていない。ただ、Aブロック2列目という2018年の運が総動員した席だったのでステージの彼らの表情だけは鮮明に記憶に残っている。本当にキラキラしていた。けれど彼らがふと後ろを向いた時や、フォーメーションの関係で正面から見えづらい位置に立った時、気のせいかもしれないけれど、何度か涙を堪えていたように見えた。
私は多分、割と序盤から泣いていた気がする。楽しくて、楽しくて、けれどこの時間が永遠じゃないことを知っていたから、涙が出た。次への約束がないことが、不安でたまらなかった。
1日目の最後のメンバー挨拶のときに、株ちゃんが涙を耐えていた様子を見て、そのときになってようやく、本当に次はないのかもしれない、と漠然と思った。
その日、ライブを観に来てくれた数々のアイドル達のコンサートを観てきたジャンル外の友達が、ライブ後にご飯を食べながら「武道館に立つのに相応しいアイドルたちだった」と言ってくれたのが、何よりも嬉しかった。

10月21日、武道館2日目。
ドリフェス!のことしか考えたくなくて、頭のてっぺんから足の先までドリフェス!に浸りたくて、朝早くに武道館に行った。
なんだか無性に沢山のドリフェスのオタクたちと会いたくて、現地でブロマイド交換してる方に声を掛けたり、フォロワーさんにお会いしたりした。
その時に何故かフォロワーさんと握手を交わして、その手がとても温かかったことを今でも覚えている。今思えば、その時の私の顔は人生で一番ひどい顔だった自信があるので、フォロワーさんは心配してくれての握手だったと思う。
ETERNAL BONDSの「繋いだ手がアツイ それは僕らの絆の温度」の箇所を聴くたびに、あの時の手の温かさを思い出す。残念ながらその時の私の手はそれはそれは冷たかったので、フォロワーさんに私が感じた感動を分けてあげることはできなかった。申し訳ない。

ライブ中は、からっからになるまで泣いた。なんだか分からないけれど沢山笑って沢山泣いた。冗談抜きで軽い脱水症状だったと思う。声を出しすぎて喉だってガラガラだった。それでも己が出せる限りの声で、イケるっしょ!と叫び、ステージの裏へスクリーンの先へと届くようにAFSを歌った。
武道館ライブの後に3日間有休を取っていたので、寝込んだって構わない、この想いが1ミリでも届けばいいと思った。
2日間のライブを終え、武道館の帰り道の記憶もほとんどないけれど、ライブ前に想像していた悲壮感は全く無かった。武道館の1週間前に書いたはてなブログで、私は「笑って武道館の客席に立てているとは思えない」と綴っていた。たしかに笑ってあの場所に立ててはいなかった。けれど、笑ってあの場所を立ち去ることはできた。素直に、良いライブだった!と思えた。
長いことオタクとして生きていて、こんなに心が揺さぶられることはなかった。今までの自分の人生が楽しくなかった訳じゃないし、なんならスーパー楽しい人生を送っていた自信があるけど、ドリフェスはもう本当に別次元で、まさに5次元で、ドリフェスと出会えてあの奇跡みたいな瞬間に立ち会えて、あの場にいられて、まじで私の人生は勝ちだった。

ここまでが、2018年10月の私の日記。
ここからが、2019年10月20日の私の日記。

2018年10月21日を迎えるまでの自分は、武道館後には無になるのだと思っていた。
2018年3月5日に一区切りの知らせを受けて、3ヶ月で体重が5キロ減ったし、精神的にも明らかに情緒が不安定になった。けれどしっかり生活をしようと思えたのも、武道館ライブをこの目に焼き付けるためだった。
武道館ライブの後も、設定集の発売、ドリフェス研究室のパッケージ化、武道館ライブ上映会……不定期ながらも、公式から発表される新情報に一喜一憂した。けれど心のどこかで「心の整理をするためのもの」として捉えていたので、素直に喜べないでいた。2018年3月5日から1年半もの間、私は明日が来ることが楽しみだと思えなくなっていた。

ドリフェスのオタクたちと集まって、アニメを観たり、ライブBDを観たり、ぬいを撮影したり、お気に入りのドリカの話をしたり、上井草でラーメンを食べたり、たまに提供される公式からの発表に喜んだり、DMMシアターのライブを全人類に観て欲しいと力説したり、やっぱりドリフェス!大好きだなー!って言いながらそれなりに充実した、けれどどこか物足りない、過去に未練がある日々を過ごすのだと、そう思っていた。

そう思っていたのに、この頃はなんだか様子が変わってきた。
サンライズフェスティバル2019のドリフェス!上映の決定、DMM VRシアターライブの再々再演、上井草コラボの復活。この時点で明らかに自分の気持ちに変化が出てきた。1年半ぶりに、明日が、数日先の未来が楽しみだと思えるようになった。
その後も、ぬいの再販プロジェクト始動、サンライズフェスティバルで発表されたコラボの数々……嬉しくて涙が出た。武道館ライブの後も、ドリフェスのために誰かが企画をして、想像でしかないけれど調整のために走り回ったり、もしかしたら偉い人に掛け合ったり、時には頭を下げたりしてくれていたのかもしれないとそう思ったらたまらない気持ちになった。応えたいと、応えなきゃならないと思った。
武道館ライブで壮馬くんは言っていた。
「イベントでお客さんが全然いない時もあった。けど全くいない訳じゃなかった」
ドリフェスは確かに世間的な認知度もそんなになく、ファン人口も多いとは言えない。けど私たちはそうやってエールを送って、受け取って、繋いで、ここまできた。過去のドリフェスのファンが送ったエールを、DearDream、KUROFUNEが受け取って、ファンである私たちも受け取って、受け継いで、ここまできた。そう考えると今のぬいぐるみ再販プロジェクトの予約の緩やかな状況も、ある意味とてもドリフェスらしいと感じる。

武道館ライブから一年経って思うのは、公式は私たちドリフェスのオタクたちを「明日」に連れて行くのに本当に必死になってくれていたということ。
アンコール曲がインフィニティ・スカイだったことも、武道館ライブタイトルがGO TOMORROW!!!!!だったことも、明日なんて来なければいいと、私たちが心のどこかで思っていたことを見透かされていたと、つい勘繰ってしまう。

私には夢がある。
一年経ってもやっぱり変わらない。また14人に会いたい。2次元の彼らにも、3次元の彼らにも、エールを飛ばしたい。アプリでドリカを飛ばしたい。この想いだけは、絶対に変わらない。